2024年4月1日、青ヶ島村離島留学推進協議会が離島留学生募集を開始しました。
小中学生を対象にした離島留学事業の実施は伊豆諸島では初めてとなります。
この離島留学は、2022年度の青ヶ島中学校に中学生が1人もいなくなってしまう危機があり、それによる中学校の休校を阻止しようと民間から始まった1年間の離島留学に端を発しています。


青ヶ島の中学校はただ勉強するための場所ではありません。
青ヶ島には高校がないため中学を卒業する15歳の春、進学するために島を出なければなりません。
幼い頃から兄弟姉妹のように一緒に育った友達と別れ、親元を離れて内地へ旅立ちます。
帰省で島に帰ることはあっても、もう親といっしょに暮らすことはないかもしれない別れです。
中学校は、生徒が島を巣立つための教育の最終仕上げの場所でもあったのです。
1年でもその場所がなくなるということは、その学びが消えてしまうかもしれないという危機感が離島留学に踏
みだすきっかけになりました。

                
突如始まった1年という期限付きの留学、そこに「青ヶ島チルドレン」という留学生として島外から初めてやってきた中学生たち、彼らが島で生活し学校に通う姿は、青ヶ島の人たちに大きな変化をもたらせました。

  • 青ヶ島に離島留学で来てみたい、という生徒がいることや自分の子供を島で生活させてみたい、という親御さんがいることがわかった(ニーズがあることがわかった)
  • 青ヶ島のように学校の生徒が超少人数で、自然がきびしくて不便な環境の中でも、離島留学生たちが留学生活を楽しんでいることが、村の多くの人たちに伝わった(理解が得られた)
  • 村民は人口の減少・子供の減少を肌で感じながら、どのように未来を作ればよいのか考えていたところへ、離島留学という選択に希望を感じた。
  • 離島留学生が来たことによって、村のあちこちが活気づいた。

【留学生受け入れを実施した島民のメッセージ】
初めて離島留学で生徒たちの受け入れをして1年を共に過ごしました、他人さまの子供を預かることは大変でしたが、子供たちとの生活が苦にならなかったことを実感しました。
また、青ヶ島のあちこちで子供たちの存在が受け入れられていくのを見ながら、ひょっとしたらこれから風が変わると思いました。青ヶ島村が離島留学実施に向かって動き出すのではないか、と感じ、村が離島留学をはじめるまで、受け入れを継続したいと思いました。学校や周囲の方々のご協力をいただいたおかげで、2期生まで送り出すことができました。感謝いたします。

【2022年度、子供さんを青ヶ島留学させた親御さんのメッセージ】
「青ヶ島で見聞きし、体験したことは娘の血肉となり、この春から全寮制の高校に進学することになりました。アッという間に親元から羽ばたいていきます。働くとは、生きていくとは~を、体感したことにより定めた進路だと思います。第1期生として青ヶ島で過ごしたことは本当にかけがえのないこととなりました。ご縁があって関わることのできた青ヶ島は私たち家族にとっても大切な場所です。」


 留学生たちが体験する青ヶ島の生活は、内地の生活とはかけ離れています。自然は人間に寛容ではありません。船が来なくて物資が滞る、予定通りに内地と島を行ったり来たりするができない、食料を少ない物資でやりくりしてもたせる、注文したモノを待つ、天気に合わせて予定を調整する、そういった繰り返しの中で(我慢すること)を学んでいきます。
青ヶ島で暮らす留学生たちは最初のうちはビックリしますが、だんだんと、その状況に合わせて自分がどう動くかを判断できるようになっていきます。


留学期間中、長期休み以外は親や兄弟と離れてくらすことになりますが、離れることで親子の関係が密接になった、と感じるようです。
「離れていても、親に支えてもらっていると実感する」、1期生も2期生もそう話していました。
親御さんにとっても、一緒に暮らしていたときとは違う立ち位置で、自分が子供に何をしてあげられるか考える貴重な時間になるようです。


現代のような社会では、子供が違う家の釜の飯を食べることや他人と暮らすことは、貴重な体験になると思います。
昔の日本はいろんな他人の大人が、自分の子供であろうがなかろうが、ちゃんと叱ってくれる環境がありました。今の都会の子供たちは親以外の他人の大人とかかわる機会が少ないように見えます。
他人の大人とかかわることで、親以外の大人の考え方や生き方を知るのはとても大切だと思います。


もう一つ思うのは「地域」という共同体についてです。内地からやってきた子供たちは「地域」というコミュニティを知らない子が多い。
島ではだれかに何かしていただいたら、その恩返しをします。
お返しするのはお手伝いという労働だったり、何か物をさしあげたり、方法はいろいろありますが、(あのときはありがとう)という感謝の気持ちを相手に示します。
そういったGIVE&TAKEが、よりつながりを深めます。
また、自分は地域の一員という感覚を持つことは、家族とはちょっと違いますが、でも家族にとても似ているつながりの中に生かされているのが分かると、考え方や行動が変わってきます。離島留学の生活は「地域」や「人とのつながり」を学ぶ絶好のチャンスです。


2024年1月15日、青ヶ島小学校は開校150周年を迎えました。
明治5年、学制が発令されてわずか2年で学校教育が始まりました。
全国的に見てもまだ学校教育があまり開始されていない時代に、南海の孤島で学校教育を始めたことは、驚異的なことだそうです。
その150年目の節目に、青ヶ島村の離島留学の募集がはじまったことに、不思議な巡り合わせを感じます。
私たちの祖先は天明の噴火によって青ヶ島を離れ八丈島に避難、50年の時をかけて青ヶ島に還りました。
彼らは命からがら戻った青ヶ島で、火山マグマのガンガラ石の地面を、鍬で耕し、生きるためにサツマイモを植えました。そのおかげで今日の青ヶ島があります。
祖先たちが守りぬいた青ヶ島を、私たちも守りぬきたい。
 

まずは学校の存続です。
ぜひ、ここでしか味わえない青ヶ島の離島留学を、たくさんの子供に経験していただきたいと思います。
人と人とのつながりが深い島です、自然のすごさを体感できる島です、学校の先生方はとても親身になって教えてくれます。
満天の星空といっしょに青ヶ島の島民全員が離島留学生を待っています。

ぜひ青ヶ島へ!